カテゴリー「英語一般」の7件の記事

英語と楽器のアナロジー(その1)

さて、いきなりであるが、自分にとって、英語ができるということは、楽器(以下、ギターで代表)ができるということと、似たような意味を持つ。

どういうことかという、できればうれしいけど、できなくても、どーってことないと思っているってことである。

そうなのだ。だから、これからは、英語ぐらいできなくちゃ駄目だ、とか言っているのを聞くと、これから、ギターぐらい弾けなくちゃ駄目だと、言っているのを聞くのと同じくらい、はぁ?とか思ってしまうのだ(笑)。

もちろん、英語ができるようになりたい人、できるようになる必要がある人は、どんどんやればいい。ギターを弾けるようになりたい人や、弾けるようになる必要がある人がそうするように。また、以前に比べて、英語が必要な人も増えているのかもしれない。でも、だからと言って、日本人全員が英語ができるようになる必要はないだろう。別に英語を母国語とする国の植民地ではないのだから。

よく、なぜ日本人は英語ができないのか?なんて、うんこ(失礼)みたいな問いを発する人間がいるが、自分にとっては、なぜ日本人は、他国の植民地や属国のなりたがるのか?の方がよりリアリティのある問いである。

自分が思うに、日本人が英語ができない理由は、単純に、多くの日本人にとって、別に、英語ができるようになる必要がないということにつきる。これまで、日本人だって、英語の達人と言われるひとはいくらでもいたのであって、別に達人までいかなくても、英語が本当にできるようになりたかった人、できるようになる必要があった人は、それなりにできるようになっていたのだから、別に、民族的な能力の問題はないだろう。

では、なぜ、日本人は、英語ができるようになる必要がないのか。それは、日本人は、幸いなことに、母国語である日本語だけで、高度な教育も受けられるし、高給取りにもなれるし、高度な文化も享受できるからである。我々は、英語ができないことを嘆くより、このことにもっとありがたみを感じてもよいのではないだろうか。

なお、グローバル化至上主義者や経済至上主義者にとっては、上記のような状況は、幸いなことではないのかもしれんが、自分は、グローバル化なんて糞食らえ(失礼)と思っている方なので、上記のような状況を全面的に肯定しているのである。

翻訳家の山岡洋一氏は、日本が明治時代に、欧米の進んだ知識を翻訳という手段で学ぶ方法を採用したことに関して、次のように書いている(翻訳通信2010年6月号(pdf)1頁)。

 日本は欧米の知識を学ぶためにどういう方法をとったのか。ひとことでいえば、「翻訳主義」をとったのである(丸山真男・加藤周一著『翻訳と日本の近代』岩波新書、43ページ以下を参照)。

 つまりこうだ。欧米の進んだ知識を学ぶ方法は大きく分けて2つある。第1が、英語なりフランス語なりの欧米の言語を学んで、欧米の言語で進んだ知識を学ぶ方法である。第2が、母語に翻訳して欧米の進んだ知識を学ぶ方法である。当時の後進国の大部分は、19世紀には欧米の植民地になっていたこともあって、第1の方法を採用している。第2の方法を採用したのは、ごくごく一部の国だけであった。その代表が日本であったといえる。

 丸山真男と加藤周一が指摘しているように、明治の初めには第1の方法をとるべきだという主張があったが、それでは「上流階級と下層階級でまったく言葉がちがってしまう」と批判されたという(同書45ページ)。

 日本は翻訳主義を採用した結果、当時の後進国にはめったになかったことだが、小学校から大学までの教育をすべて自国語で行えるようになった。

なお、明治の初めに第1の方法をとるべきと主張していたのは、森有礼で、それに対して、上記批判をしたのは、馬場辰猪とのことである(翻訳通信2005年4月号(pdf)1頁)。森有礼が、上記主張をしたのが、ニューヨークで出版された"Education in Japan"という本の序文であり、馬場辰猪が上記批判をしたのが、自身が英語で書き、ロンドンで出版された日本語文法書の序文だというのだからすごい。

山岡氏は、日本が第2の方法を採用した結果、『「上流階級と下層階級ではまったく言葉がちがってしまう」事態を日本が避けられたのであり、この点と、欧米以外の国ではじめて近代化を達成できたこととの間に関係がなかったとは思えない。翻訳主義をとったからこそ、いまの日本があるとすらいえるかもしれない。』と書いているが、まさに、その通りではなかろうか。

話が長くなったので、続きは別記事で(多分)。

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フォニックスの思い出

自分は、普通の、どちらかと言えば貧乏な家庭に育ったため(汗)、学習対象として英語に触れるようになるのは、公立中学校における英語の授業からである。

その中学1年の時の最初の英語の授業の印象は、ある意味、衝撃的なものであった(ちょっと大げさ)。

期待と不安の混じる中、最初の授業が始まると、先生はおもむろに、「では、先生の後に続けて言って下さい」と言ったかと思うと、教科書に書かれたいくつかの単語を順番に声に出して読み始めた。それに対して、自分以外の他の生徒達は、なんのためらいもなく、先生の後に続いて、なにやら先生が発したらしき言葉と同じ言葉を発している。

このとき、自分は、心底驚いた。どのように発音するかを教えて貰っていないに、他の生徒達は、どうして、初めて見る英単語を発音することができるのだ?!

結局、自分は、その日、訳が判らんと思いながら、最後までほとんど言葉を発することなく、授業の終わりを迎えることとなった。

そして、授業が終わるとすぐさま、友人の所へ行って、上記疑問をぶつけてみると、その友人が答えるには、みんな、LL教室とかに言っているからできるんだよ、ということであった。いま思えば、何人かそんな連中がいたとしても、みんなが行っているなんてありえないのだが、その当時は、そういうものかと納得したものだった。

その後の授業にどのように対処していったかは、まったく憶えていないのだが(汗)、最終的には、辞書を見れば、発音記号が載っており、発音記号を見れば、発音の仕方がわかるということを知って、とりあえず安心することができたのではないかと思う。そんなこともあって、発音記号自体については、比較的早い段階で一通り憶えたのではないかと思う。もちろん、だからと言って、各発音記号を、正確に発音できたという訳ではなく、単にこの発音記号は、なんとなくこんな感じで発音するということを頭(知識)で知っていただけである。

で、英語は、発音記号を調べないと、発音の仕方が判らないものなんだという理解のまま、その点について特に疑問に思うこともなく、大学まで行くことになったのだが、大学の第二階国語として、ドイツ語を学ぶようになってから、この点について改めて考えさせられることになる。というのも、ドイツ語は、基本的に、スペルと発音の対応関係がしっかりしているので、スペルを見れば、辞書で発音記号を調べなくても、発音の仕方がわかるのである。このことを知ってから、英語もドイツ語みたいだったら楽なのになぁと思っていた。

そんなある日、図書館で偶々見かけた本が、松香洋子著『英語、好きですか』であった。

 英語、好きですか アメリカの子供たちは、こうしてABCを覚えます 英語、好きですか アメリカの子供たちは、こうしてABCを覚えます
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この本は、いわゆるフォニックス(本書表紙の説明によれば「音と言葉を結びつける英語学習法」)についての本であるが、本書を読んで初めて、英語にも、スペルと発音との間にある一定の規則が存在するということを知ることになる。本書によれば、応用範囲の広いルールを百ほど学ぶことによって、英語のスペルは75パーセントくらい、規則的である、ということができるらしい(本書26頁)。

逆に言えば、25パーセントの例外がある訳で、この例外の多さから、人によってはフォニックスなんて意味がないと思う人もいるようだが、スペルを見ただけでは、まったく発音の仕方が判らないと思っていた自分にとっては、発音記号を調べなくても、スペルだけから一応の発音を導き出せるということは、非常に画期的なことに思えた。

本書では、まず、6つの子音文字(p,b,t,d,g)と、その発音の仕方とを学ぶフォニックス10級から始まり、フォニックス特級までで、101の規則を学び、最後のフォニックス特1級で、日常的に多用されるのに、特級までの規則では説明できない66個の単語を学ぶという構成になっている。

自分の場合、本書のフォニックス10級で、初めて、有声音と無声音との関係や、6つの子音文字の正確な発音の仕方を学んだのではないかと思う。

また、知って一番感動した規則は、本書のフォニックス7級で説明されていたeのついた母音についての規則である。

これは、単語の終わりにeがきた時には、そのe自体は音をもたずに、前方の母音がアルファベット読みになるという規則で、例えば、hatは、「ハット」と発音されるが、その後ろにeを付けたhateでは、母音aがアルファベット読み「エイ」となって、全体として、「ヘイト」という発音になるというものである。

他の母音(e、i、o、u)についても同様で、pet(ペット)がpete(ピート)(e=「イー」)になったり、pin(ピン)がpine(パイン)(i=「アイ」)になったり、not(ノット)がnote(ノート)(o=「オゥ」)になったり、cut(カット)がcute(キュート)(u=「ユー」)になったりするというものである。

本書のこの部分を読んだときは、ほんとにちょっと感動ものであった(笑)。このときまで、単語を構成する母音文字について、アルファベット読みをされることがあるなんて、まったく気づいてなかったからである。

本書については、図書館で借りて読んだだけで、本書に含まれる規則のすべてを完璧に憶えたわけではないし、本書以外にフォニックスについて学んだこともないのだが、本書でフォニックスの基礎を学んだことは、多読多聴と共に、自分が英語の基礎的な力を身につける上で、大いに役立ったのではないかという気がしている。

なお、本記事を作成するに当たって、地元の図書館に置いてあった本書を借りて、一通り再読してみたのだが、発音の説明に若干甘い部分がある等、現時点で、フォニックスを学ぶに当たっての最良の本と言えるかどうかは判らないが、気楽に読める内容になっていると思うので、30年近く前の本であるが、現在でも、フォニックスの基礎を学ぶのための一つの選択肢にはなるのではなかろうか。他のフォニックス本を読んだことないので、実際の所は、よーわからんのだが(笑)。

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自分の認識語彙数についての一考察

先日、『アンチ・バベルの塔』というブログ(もしかして有名?)に偶々たどり着き、いくつかの記事を読んだところ、大変刺激を受けた。

そして、ふと思った。自分の認識語彙数って、いったい、どのくらいなのだろうかと。

そこで、とりあえず(?)、自分の認識語彙数を推測してみることにした。

推測には、既にある程度の自己データを取得済みの英検の大問1の結果を使うことにした。どういうことかというと、英検1級の語彙レベルは、約10,000~15,000語レベルとされるが、これは、つまり、約10,000~15,000語レベルの認識語彙力があれば、大問1で満点が取れることを意味すると考え、それに、自分の実際の正解率を加味して自分の認識語彙数を推測するということである。

ここでまず問題となるのが、英検1級の語彙レベルが約10,000~15,000語レベルと、5,000語もの幅があるということである。この5000語もの幅はなにを意味しているのだろうか?数え方の問題だろうか。ちなみに、英検準1級は、約7、500語レベルで、英検2級は、約5,100語レベルとされており、両者とも、幅を持たせない数字になっている。このことから考えて、約10,000~15,000語レベルの「~」は、英検1級の語彙レベルが、約10,000語レベル以上、約15,000語レベル以下ということを意味している訳ではない、ということが一応考えられる。まぁ、この点については、これ以上考えてもわかりそうもないので、とりあえず、曖昧なままにしておく(笑)。

次に問題になるのが、推測値の計算方法である。以前の記事でも触れたように、自分の過去10回(2006年度第3回~2009年度第3回)の英検1級大問1の初見での得点は、平均約16(16.2)点である。正解率でいうと、約65%ということになる。もし、この正解率が、100%であれば、自分の認識語彙数は、単純に、約10,000~15,000語ということにしてしまってもよいであろう。では、正解率が65%の場合はどうするか。

ここでは、次のようにした。まず、準1級の大問1を何回か分、解いてみて、それで全問正解できれば、まず、7,500語レベル以下の語彙についてはクリアと考える。そして、英検1級の大問1の正解率については、7,500語レベル以上、10,000(~15,000)語レベル以下の語彙の認識率を示していると考える。つまり、1級の大問1の正解率が65%の場合、認識語彙数としては、9,125(=7,500+(10,000-7,500)*0.65)~12,375(=7,500+(15,000-7,500)*0.65)語レベルということになる。

そこで、英検公式サイトに公開されている準1級の過去3回(2009年度第1回~第3回)の大問1を解いてみた(実際にやったのは先週末だが)。全問正解する気満々だったのだが(そうでないと、前記前提が成り立たなくなる)、実際にやってみると、むむむっ、思っていたより難しい(汗)。結局、2009年度第1回だけは、なんとか全問正解できたが、残りの2回は、共に1問間違えてしまった(汗)。結局正解率は、約97%ということに。

3%位いいかぁとも思ったが、変に潔癖(?)なところが出て、2級の過去3回(2009年度第1回~第3回)の大問1についてもやることに(こちらも実際にやったのは先週末。それにしても暇やの)。2級の問題を解くのは初めてだなぁ、2級だと、大問1も20問なんだぁ、などと思いながら、解く。さすがにこちらは楽勝、と思いきや、句動詞でいくつか怪しいものが(たらーり)。でも、なんとか全問正解を達成(ほっ)。多少怪しくても正解してればOK!ということで、2級の大問1については正解率100%、ということは、語彙レベル5,100語以下の語彙についてはクリアということに(する)。

そして、英検準1級の大問1の正解率を、5,100語レベル以上、7,500語レベル以下の語彙の認識率を示していると考えると、準1級の大問1の正解率が97%の場合、(7,500語レベル以下での)認識語彙数としては、7,428(=5,100+(7,500-5,100)*0.97)語レベルということになる。

で、結局、上記のやり方で推測した自己の認識語彙数は、約9,053~12,303語ということになる。でも、3,250語もの幅があるんじゃ、細かく計算した意味ないなぁ(笑)。まぁ、気持ちの問題ということで。

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小学英語必修化考

以前の記事でも紹介した読売新聞の「時代の証言者」という連載で、鳥飼玖美子氏は、小学校での英語必修化について次のように語っている(2009年10月17日朝刊)。

 2011年度からは、小学校で「外国語活動」として、英語が必修化されます。しかし、私はこれに一貫して反対してきました。導入は条件が整っていないというのが私の見方です。

 《中略》

 小学校では、まず日本語のコミュニケーション力を育成すべきです。どうやって自分を表現し、言葉を使って、どう人間関係を構築するか。これらの方が、はるかに優先順位が高いはず。先行導入した学校では、すでに英語嫌いの小学生が生まれています。本当に逆効果。かわいそうな事態です。

更に、ジョン・ガルブレイス、ダニエル・ベル及び利根川進の三氏による鼎談の司会をした際、利根川氏が、英語で丁々発止、議論をし、論客相手に一歩も引かなかったことに触れ、次のように語っている。

利根川さんは、「日本生まれの日本育ちで、英語は普通に中学から始めました」と話されています。中学校からきちんと学ぶことで、高度な英語力を身につける道は十分にあります。問われるものは、要するに中身なのです。あいさつや買い物の決まり文句を早くから教え込むことではない。日本の英語教育は、利根川博士のような英語力の養成を目指すべきなのだと、強く感じています。

自分も、小学校で英語を学ばさせる必要性はまったくないと思っているのだが、自分がそんなことを言っても、まったく説得力がないが(汗)、鳥飼氏のように英語ができる人が言えば、かなり説得力があるのではないだろうか。

さて、勉強不足ゆえ、どのような人たちが英語必修化を推進したのかは知らないのだが、一般の人で、英語必修化に肯定的な考えを持っている人の中には、自分が英語で苦労したので、子供には苦労をさせたくないと思って、そう考えている人が少なからず含まれているではないだろか。そういう人は、自分が英語ができないのは、自分のせいではなく、システムのせいだと思っている(か、そう思いたい)のであろう。

ちなみに、上記の点に関連して、思い出したのが、今年の夏頃に読んでいたマーク・ピーターセン著『英語の壁』の一節である(それにしても、このタイトルは頂けない)。同書の中で、同氏は、「なぜ日本人は英語が下手なのか」という妙な題名がつけられたシンポジウムに招かれたことに関連して、次のように書いている。

 「なぜ日本人は英語が下手なのか」という問題に対しては、さまざまな「見方」が世に出回っているようだ。「日本の英語教育は間違っている」という説から「日本人は言語認識に右脳を使うからしょうがない」という説まで、諸説ある。しかし結論としての落とし所は、話せないのは話せるようになる練習を続けていない学習者本人の責任ではなく、日本人に生まれた宿命なのだ、ということになってしまいがちだ。
 確かに日本の英語教育は間違っているかもしれないが、いちばん間違っているのは、日本国民全員に強制的に一つの外国語を覚えさせようとしているところではないだろうか。そんな考え方自体が甘すぎる。
 が、学校にはそうした作業が実際、義務付けられている。たとえ、英語をものにしようと固い決心をした人にしても、話せるようになるまでは大変な努力が必要なのだが、自分からそう思わない人も含めて全員ときたら、授業で無駄に費やす時間が多くなるはずだ(同書118頁)。

つまり、小学校での英語必修化は、更なる無駄を生じさせることになるだけではないだろうか。無駄だけならまだしも、英語嫌いを今以上に増やすという逆効果があるとすれば、更に悪いということにもなりかねないのである。

なお、少し話がずれるが、『英語の壁』には、日本人が英語が苦手だという根拠としてよく挙げられるTOEFLの国別平均点に関して次のような記載がある。

日本では、軽い気持ちで受験する人がきわめて多く、試験場を覗いてみると、中学生から老人まで、受験者がバラエティーに富んでいることに驚かされる。これに対して、他の国の多くでは、受験料だけでも大変な金額になり、主として留学候補者として選ばれた「エリート」の人間しか受験しないから平均点は当然日本より高い。が、各国のそれぞれのベスト10の人の点数だけにして比較すると、これといった差がない。TOEFLの国別平均点は無意味な統計なのだが、人によっては、なぜかこの統計を頻繁に引きあいに出すのだ(同書37頁)。

世の中には、どうしても自虐したいという人がいるということであろうか(笑)。

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著者:マーク・ピーターセン
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したことがない英語学習法

先日まで、読売新聞の「時代の証言者」という連載に、鳥飼玖美子氏のインタビュー(?)が載っていたのだが、その中で、同氏は、同時通訳の訓練生だったときに行った訓練の一つして、「シャドーイング」を挙げていた(2009年9月29日朝刊)。

これを読んで改めて思ったのだが、最近では、英語のトレーニング法として、「シャドーイング」は一般的になっているような感じなのだが、昔は、「シャドーイング」と言えば、同時通訳者の人がやる訓練で、一般(?)の学習者がやるものではなかったような気がする。

少なくとも、自分の意識としてはそうで、これもまで、英語の学習に、「シャドーイング」を取り入れようと思ったことはなかった。そして、おそらく、今後もやることはないような気がする(汗)。

更に、自分の場合、「シャドーイング」どころか、「ディクテーション」さえ、きちんとやった記憶がない(汗)。「ディクテーション」については、昔から英語学習法として一応、一般的だったと思うのだが、基本的に、自分はやることはなかった。その一番の理由は、めんどくさいからである(笑)。聞き取ったものをノートに書き写す手間を考えると、その書き写すための時間を、集中して聞く時間に費やした方がよい等と考えてしまうのだ。

実は、今回の英検1級受験対策として購入した「英検1級教本」のリスニングのトレーニングで、ディクテーションをする部分があり、そこで一応、トライしてみたのだが、あっさり挫折してしまった(汗)。そんな訳で、「ディクテーション」についても、今後もやることはないような気が。。。

そんなめんどくさがりの自分であるが、かつて一時期、リスニングをする際に心がけていたことがあった。それは、どこかの本で読んだことだと思うのだが、例えば、ニュース等で、アナウンサーがしゃべる際に、そのアナウンサーが息を吸う音が聞こえるくらい集中して聞くということである。息を吸う音は、音声の状況や人によってほとんど聞こえない場合もあるが、気をつけて聞くと、聞こえる場合も多い。これは、英語ビジネス雑記帳の日向清人氏の言葉を借りれば、『英語が予め息を吸っておいてから意味のまとまりごとに、いわば、ファーッ、ファーッ、ファーッ、と勢いよく息を吐きながら発声していく言語』であるからだ。そのため、息を吸うところを意識すれば、意味のまとまりも認識できることになる。

以前に紹介した英語ニュースについても、この呼吸を意識して聞いているうちに、だんだん聴けるようになっていったような記憶がある。

また、この呼吸を意識して聞いていると、一息で、結構長くしゃべっていることに気が付く。日本人の場合、英語の使い手といわれる人でも、ネイティブに比べると、一息の語数が少ない場合が少なくないようである。例えば、松本道弘著『「FEN」を聴く』によれば、とある人が、大学教授(ある有名な英語の使い手)と、PRコンサルタント(ネイティブ)と、松本道弘氏の三氏の英語スピーチの比較したところ、一息の語数は、大学教授が8.4語だったの対して、ネイティブが10.8語、松本道弘氏が11.75語だったそうだ。このように一息の語数が、ネイティブ並の松本氏は、「あなたの英語は、ネイティヴと同じで、聞きやすい」とよく言われるとのことである。

まぁ、自分のスピーキング力は、そんなことを気にするレベルに達してないのだが(汗)。。。

最後に、「英語力をつけるのには何が良いですか」と聞かれた際に、鳥飼氏は次のように答えるという。

正直、分かりません。ただ、私はすべてをやりました。色々試みて、自分に合う方法を見つけて下さい。

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多聴の思い出

このあいだ、多読の思い出について書いたので、ついでに、多聴の思い出についても書いてみようかと。

なお、言うほど読んだり聴いたりしてないじゃんかと思う人に対して予め言い訳しておくと(汗)、多読又は多聴の思い出とは、実際に多読又は多聴した思い出ということではなく、多読や多聴を意識して読んだり、聴いたりした思い出ということである。そこの所をご理解頂きたい。

さて、自分が、多聴ということを意識しだしたのは、高校の終わり頃か、あるいは、一浪している頃だろうか、どこからか、「自然な生きた英語を大量に聞いていれば、英語のリズムが身に付き、英語ができるようなる」という夢(?)のような話を仕入れてきたことがきっかけだったと思う。

もちろん、実際は、聞き流しているだけではほとんど効果はなく、集中して聴けばということだったのだと思うのだが、その時は、とりあえず、たくさん聞いていれば英語のリズムが自然に身に付くという極めて単純な理解の下、その当時、生きた英語を聞くのに、一番手軽で手っ取り早かったFEN(現在のAFN)を聞き始めることにしたのだと思う。

ちなみに、二次試験に英語があるような大学を受けられるような学力はなかったので(理系の場合、難関校以外は、二次試験に英語はない)、受験のために必要な英語力は、共通一次試験(現在のセンター試験)で、それなりに(平均点くらい?)とれればいいなという程度のものだったと思う。

そんな訳で、一浪中は、(ながら勉強ができない質なので)勉強の合間などに、単に聞き流してただけで、ほとんど、洋楽を聞くために、聞いていたような感じだったと思う。このFEN、ヒット曲になると、朝から晩まで同じ曲をやたら流すので、いい加減やになってくるのだが、そのせいで、浪人時代というと、今でも、ホール・アンド・オーツのマンイータ(Maneater)という曲を思い出す。

そんな感じで、聞き始めたFENだが、結局、大学を卒業するまで聞き続けることになる。

その聞き方であるが、大学に入ってからは、松本道弘著『「FEN」を聴く』や他の本を読んだりしたことから、遅ればせながら、単に聞き流してるだけは駄目ということに気が付き、それからは、時々だったと思うが、集中して聴くということにも取り組み始めることになる。そうするうちに、多分、少しずつ、聴けるようになっていったのだと思うのだが、当時、どの程度まで聴けるようになったかは、あまり憶えていない。

感覚的には、このFEN以上に、自分が英語を聴く基礎的な力を身につけるのに役だったと思えるものに、かつて、テレビ神奈川(tvk、但し、当時は大文字のTVK)で放送されていた、とある番組がある。

その番組名は、よく憶えていないのだが、多分、新聞のテレビ欄には、「英語ニュース」と書いてあったような気がする(ウィキペディアのテレビ神奈川の項目によれば、「The World Today」。確かにそんな名前だった)。この番組、その名の通り、ネイティブ(と思われる)男女二人のキャスターが出てきて、英語でニュースを伝えるというものである。そして、ニュースの対象は、基本的に、日本のニュース番組と同じ。すなわち、日本のニュース番組と同様の内容を、英語でネイティブが伝えるというものである。なぜ、普通の日本のローカルテレビ局でそんな番組を放送していたのかよくわからず不思議だったのだが、日本に住んでいる外国人向けの番組みたいな感じだった(上記ウィキペディアの項目では、『国際都市横浜や米軍関連が多い神奈川を象徴するかの様な』と形容されている)。

二カ国語放送されている日本のニュース番組を副音声で視聴しているのと同じと思われるかもしれないが、(最近聴いたことがないが)二カ国語放送の場合は、日本語版に後から英語を無理矢理くっつけた感があるのに対して、この番組では、実際に画面に映っているキャスターが、専用に作成された原稿を読んでいるので、気持ちよく(?)視聴することができてよいのである。

この番組、多分、月~金の毎日、夜の11時から30分放送されていたと思うが、その番組の存在を知ってからは、できるだけ毎回見るようにしていた。

上記したように、内容については、日本のニュース番組と変わらないので、映像を見れば、話されている内容はだいたい想像がつくことになる。そのため、FENと比較すれば、聴き取りが容易で、集中もしやすく、継続して聴いているうちに、だんだんと聴けるようになっていったような記憶がある(これだけではなく、FENを併せて聴き続けていたこと、また、多読や(せいぜい、リスニングスピード程度の)速読にも取り組んでいたことの相乗効果もあっただろうが)。

そんなこともあって、この英語ニュース、非常に印象に残っており、是非もう一度見てみたい番組の一つである。という訳で、最後は、多聴の思い出というよりは、英語ニュースの思い出でした。

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多読の思い出

過去においては、英語勉強法の本も、多少は読んできたと思うが、最近は、さすがにいいだろうと思って、全然読んでいなかったのだが、先日、ふと思い立って、図書館で、とある英語勉強法の本を借りてきた。

村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける Book 村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける

著者:村上 憲郎
販売元:ダイヤモンド社
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本書については、実は、少し前に、書店で手にしたことはあり、その時は、薄くてスカスカのレイアウトの割に、1,500円+税と結構な値段がするのに驚いて、まったく買う気にはならなかったが。。。

それはさておき、著者の村上氏は、本書の中で、単語にして300万語の英文を読めば、誰でも、”英語が読める”、すなわち、「英語を、英語のまま、内容を英語で読む」ことができるようになると述べている。更に、村上氏によれば、この300万語というのは、小説にして約30冊分、ノンフィクションなら約15冊分に相当するとのことである。

この記載を目にして、大学時代に、暇にまかせてペーパーバック(PB)を読んだことを思い出した。そこで、偶々残っていた当時の記録を確認すると、大学時代(主として、1年生の後半から、3年生の終わりまで)に読んだPB(ほとんど小説)は合計で34冊だった。なお、記録にはなかったが、これ以外に、洋販のラダーエディションを、足馴らしに数冊読んだと思う(手元に3冊残っている)。

今から思えば、この大学時代のPBの読書経験によって、英語を読む基礎的な力を身につけることができたような気がするので、上記村上氏の記載は、なんか納得がいってしまった。

ちなみに、このようにPBを読み始めたのは、自宅近くの図書館で偶々手にした本がきっかけだった。

残念ながらその本の名前や詳細は、ほとんど憶えていないのだが、なんか、簡単なものから、少しずつレベルを上げながら、多くのPB(原書)を読みましょう的な内容の本だったと思う。

具体的には、その本には、レベル1~レベル3として、各レベル毎に数冊のPBが紹介されていた(と思う)。そして、レベル3の後は、好きなものを読みましょうということだったと思う(この部分は、ほとんど推測)。

(2009/11/18追記: 最近思い出したのだが、レベル3の上に更にレベルがあり、一番上のレベルに、シャーロック・ホームズ物が挙げられていたような気がする。)

そこで、自分は、上述したように、ラダーエディションで足馴らしをした後、各レベルから1冊ずつ選択して、順々に読んでいくことにした。

まず、レベル1から選択したのは、『Black Beauty』で、レベル2からは、『The Diary of a Young Girl』を、そして、レベル3からは、『Daddy-Long-Legs』を選択した。

Black Beauty (Puffin Classics) Book Black Beauty (Puffin Classics)

著者:Anna Sewell
販売元:Puffin
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The Diary of a Young Girl Book The Diary of a Young Girl

著者:Anne Frank
販売元:Bantam
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Daddy-Long-Legs (Puffin Classics) Book Daddy-Long-Legs (Puffin Classics)

著者:Jean Webster
販売元:Puffin
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各レベルから上記の3冊を選んだ理由は、偶々、上記の3冊を神保町の古本屋で見かけたからである(笑)。実際は、見かけたというよりは、見つけたに近いが。

当時、PBは、いまのように安くはなく(アマゾンも、もちろんなし)、学生で金もなかったので、可能な限り古本屋を利用するようにしていた。そういう訳で、上記34冊の中には、古本屋で調達したものが結構あったような気がする。

上記3冊をなんとか読んだ後は、いわゆるミステリーの分野に属するものを中心に、一般向けのPBを読んでいくことになる。

まず、最初に選んだのが、当時はまだ一般的にはあまり知られていなかったSidney Sheldonの『The Other Side of Midnight』である。

The Other Side of Midnight Book The Other Side of Midnight

著者:Sidney Sheldon
販売元:Grand Central Publishing
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本書を選択したのも、たまたま、古本屋で見つけたからであるが、読みやすく、内容も面白かったので、400ページを越えるボリュームであったが、結構すんなりと読め、その後に弾みがついた気がする。そう言う意味で、個人的には、結構おすすめの本である(今読んでも面白いかという問題はあるが)。

ちなみに、PBの調達によく利用したのは、神保町にあった(今はないと思う)東京泰文社という古本屋である。この東京泰文社、洋書、特に、PBの専門店として有名で、植草甚一もひいきにしていたようで、手元にある『素敵な活字中毒者』という文庫本に収録されている『J.J氏と神田神保町を歩く』というエッセイ(?)でも取りあげられている。

素敵な活字中毒者 (集英社文庫) Book 素敵な活字中毒者 (集英社文庫)

著者:椎名 誠
販売元:集英社
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